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明治31年

極寒の江丹別に移住、開拓

 創業者、酒井茂作は新潟県出身にして、家世々農を業とす。兄まで十七代続く旧家であった。幼にして四書五経を学んだという。明治29年単身北海道に渡航し、札幌に於いて古物商を営み、重ねて表具師を生業とした。
 

 酒井茂作は明治30年に家族を率いて再び来道、胆振国厚真村に移住開拓す。明治31年3月85万坪を購入し、江丹別に移住。明治34年には小作人21戸をいれ、現在の市街地は氏の所有地であり60戸分の区画をした。


 公職には組長を勤め、学務委員となり、二級町村施行後は村会議員となり、明治35年より駅逓取扱人を命ぜられ、又、私設潅漑溝同盟会長となり、開拓当初より村の発展に尽力するところ大であった。

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昭和11年頃

栄える要衝

新旭川に進出

 酒井茂作は昭和11年頃、江丹別から旭川市内/現在地旭川市東8条2丁目に転身。農場、木工場、郵便局などの事業を掲げて移住した。事業の中心としてとりわけ力を入れたのが受け継いだ養鯉業。新旭川に敷地を購入し、牛朱別川から川水を引き込んだ池で鯉の養殖を始めた。さらに数寄屋造りの屋敷を建設し、料亭を開業させた。

 茂作から経営を引き継いだ酒井豊はうなぎ、金魚の養殖も手がけ、事業を確立し経営基盤を固めていった。 

 現在の倉庫周辺は当時活魚の養魚池だった。帝国陸軍第7師団が置かれ、北の要衝として栄えてきた旭川にあって陸軍師団長クラスが頻繁に出入りし盛大な宴会の利用も多く、客入りがよかったそうだ。 

昭和17年頃

スクラップに

​転身

 昭和16年頃より国策パルプ旭川工場が本格的に操業を開始。設備は世界最大の350㎡の木釜室を設置し、年間6万トンのパルプを生産する日本最大の工場であった。そのパルプの廃液が浸透し、養魚池の生魚が全滅。1年後には飲料水も使用できなくなり廃業に追い込まれてしまうこととなった。さらに農地改革によって農場で育てていた農作物がただ同然となってしまうなど災難が続いた。酒井友次は昭和15年、昭和19年と招集され戦地にも赴く辛い時代を乗り越えてきた。

 戦後、養魚池は石炭殻で埋め、その上に建物を建てて雑品屋から再開。国策パルプ旭川工場から機械の撤去品などの取引を中心に事業を立て直していくことになる。

 

 昭和23年に酒井友次は父親と酒井銅鉄機械店を創業。当初は国策パルプ旭川工場から仕入れる鉄くずや機械雑品などスクラップ(製鉄原料、非鉄金属)を主にした営業内容であった。

昭和36年頃

人情味

企業文化が醸成

 昭和36年から住友金属工業(住友商事)の特約店となり、一般鋼材を本格的に扱うようになった。

 昭和48年に法人組織として「酒井鋼材」、「酒井銅鉄」を設立。一般鋼材とスクラップ部門を分離独立し酒井鋼材は一般鋼材、酒井銅鉄はスクラップを扱うようになった。

 住友商事との特約店取引は大きな節目となり、このころから道内鉄道拠点として栄えた岩見沢や都市へと発展を遂げる札幌など、高度経済成長の波に乗り大手商社の優良特約店として堅実に取引先を広げた。

 業界では小回りの効く納品が評判を呼び、たとえ土曜日だろうが翌日には指定の鋼材が届く酒井鋼材と重宝がられたという。また、当時料亭を改造した古い木造の事務所内では取引先の拡大に合わせて従業員数も増えてきた。昼食時間になると、おにぎりだけでは足りないからと味噌汁が賄われたり、給料日には社員全員で食事をとるなど、人情味のある会社文化が育まれた。

平成2年

本社社屋完成

​成長へ環境整備

 昭和62年に代表取締役に酒井孝が就任。2年後の平成元年には念願の社屋が完成した。創業以来の木造造りで老朽化した事務所を創業40周年を機に建て替え、酒井友次当時会長の財産を社屋建設の資金に充てたという。従業員の休憩室や女子更衣室にも大きなスペースが割かれており環境整備を進め企業のさらなる成長へと向かうこととなった。

平成22年

同業の経営引継

​二社体制開始

 平成20年代に入ると倒産が多発。景気が悪化し鋼材の需要も落ち込み、売上が減少を辿ることに。事業を縮小して生き残るか、あるいは拡大して生き残るかの選択を真剣に考えなければならない状況になっていた。
 「その頃、四代目酒井孝社長と酒井保則専務が不需要期になると出てくる話が同業者の仲山鋼材株式会社の話題でした。その矢先に北陸銀行からの紹介で後継者問題を抱える仲山鋼材株式会社が買い手を求めていることを察知しました」  

 仲山鋼材の仲山昭義当時社長に後継者が不在であったことから酒井鋼材が同社の全株を取得し経営を引き継いだ。地元の同業者同士によるグループ化。二社体制による事業戦略を展開することとなる。

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沿革

1925    酒井茂作、江丹別郵便局の経営を譲渡する

1936年    酒井豊、現在地(旭川市東8条2丁目)に農場、木工場、郵便局、養鯉、料理店の事業を掲げて移住

1942年    鯉養殖を廃業

1948年    酒井銅鉄機械店開業

                現在の場所で銅鉄機械を扱う個人商店を開業

                当初はスクラップを主とした営業内容

1961年    住友金属工業の特約店となり、一般鋼材の販売を本格的に始める

1973年    一般鋼材を扱う株式会社酒井鋼材、スクラップ事業を行う株式会社酒井銅鉄に法人改組

                両社の代表取締役社長に酒井友次が就任

1987年    代表取締役会長に酒井友次が就任

                代表取締役社長に酒井孝が就任

1989年    現在地に新社屋を建設

2010年    昭和2年創業の同業者「仲山鋼材」と資本業務提携

                同社全株式を取得し経営統合

                同社代表取締役社長に酒井孝が就任

2021年    代表取締役社長に酒井保則が就任

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